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朝食勉強会

建築道

2017年10月4日(水)に本年度第1回目の朝食勉強会が、シャングリ・ラ ホテル東京において開催されました。今回は、加賀藩前田家、前田利家公の第六男(利貞公)の13代目当主である、建築家の前田紀貞先生にご講演いただきました。前田先生は、建築家のエゴイズムを排除する「建築道」を標榜し、「建築とは職業ではなく生き様である」との考えの元、建築と向き合って来られております。それはまさに建築を超えた生き様そのものを感じる迫力あるご講演となりました。

建築道という考え方について

自分が建築を始めた当時、なんとなく好き、なんとなくかっこいい、つまりなんとなく作られていく創作の方法が嫌で、何かしらの指針がないかを模索していました。
そこで考えたのが、「建築道」という考え方です。武士道や禅道と同じような筋道だった方法で建築を作っていくことができないか、ということを検証しているうちに至った考え方です。
そのひとつが「対極の一致」というものです。例えばメビウスの帯。別々の面にあるものを捻ることにより、一つの面として繋がっていく、つまり「対極にある相容れない2つの事象が一つになっていく」というものです。 日本には古来からこのような考え方があり、般若心経では、「色即是空、空即是色」、禅では道元が「身心脱落、脱落身心」といい、いずれも対極にあるものは一緒であるという考え方になります。
このように、(自分の対極である)「相手」の力をうまく「自分」の中に取り込んでいくこと、すなわち主客の区別が無くなるような作法が武道の真髄となります。

対極とは何か~「私」

生きていく中で対極の典型的なものとは「私と世界」でしょう。
人間の体は有機物(C-H-N-Oの分子)でできていて、ご飯を食べるとC-H-N-Oが『吸収』されていきます。そして新たに細胞が作られ、一方で不要な細胞は『排出』され、一年後にはその出入りの総決算で身体全部の細胞が全部変わってしまうことになります。
つまり、「人間」というものは、「1年前」と「今」では同じように見えても、構成要素はすべて変わってしまっているのです。

例えばこれがオートバイだとすると、タンク、ハンドル、タイヤ、といった構成要素が全部変わってしまったら、もはやそれは違うオートバイになってしまいますね。でも人間は、全部部品を変えても、それでも「私」という確固たるものがあるのです。「無いのに有る」のです。
つまり「私」とは、たまたまそこにある分子の淀みのようなもので、生きているということはいつも変わっているということ、私という確固としたものが無いことこそ実は「私」というものの本質なのかもしれません。

対極とは何か~「世界」

さて、私たちの世界で起こっていることを分析してみましょう。
例えば人間が「ハンバーガー」を食べると、それまで「ハンバーガー」を作っていた栄養素C-H-N-Oの分子たちは、体内に取り入れられた途端、皆で協力して次は「私(の細胞)」を作ることに役割換えをします。その後、「私(の細胞)」が酸化腐敗して体外に排出されると、分子たちは「排泄物」を構成するようになります。
同様にして順次、「排泄物」は腐敗して「土」へ、「土」は根から吸収され「トウモロコシ」へ、「トウモロコシ」はそれを食べた「豚(の細胞)」へ、そして最後には「豚(ハンバーガー)」を食べた「私(の細胞)」を再び協力して作る為に戻ってきます。
こういった流れを見ていると、「世界」とは様々な分子が互いに協力しあって、ある時は人間、ある時はトウモロコシ、ある時は豚を構成してゆく(になってゆく)ことがわかります。
ところがみんな、「私と豚は違う」「私は確固として私・豚は確固として豚」と思ってしまいます。実際には世界の中では「私」という確固たる不動は無く、「無私」つまり世界の事象すべてが全て同じもので一枚布なのです。これを仏教では「一如」といいます。

無私で作る

建築のデザインは、才に長けた人がそれまでの経験・手癖などを自分の中に取り込んでいって壮大な世界を創り上げる、というのが普通の考え方でしょう。つまり、「私」という作家が確実であることが建築を思考する上で大きいファクターであると一般には思われます。
でも、例えば茶碗作りを考えてみると、温度湿度粘性など土が取れた時やこねた時の気候など「私以外の環境」によって茶碗の出来が左右されますから、作り手は決して意図した通りにならぬ偶然できてくる風景に期待するしか術が無いことになります。つまりそこでの創造とは、「私が作る」という作法ではなくなっているのです。
これを、自然(じねん)と呼びます。自然とは、作者が出来上がりを先回りして考えるのではなく、そのものが「自ずから然る」ようにさせておく、そんな「作らない作り方」をいいます。
自分の思い通りのものを作ろうとすると、自分の能力以上のものは出せませんが、自然に委ねられるようになると自分の能力とは関係ないところで作品の出来栄えを保証してくれるような「豊かな事件」が起きてきます。
つまり、「無私とは私が無いのではなく、私を超えていくもの」なのです。

一如を建築に生かす

  • 1 波を建築する
    そこで、「私なんて無い」というのであれば、建築以外の秩序から建築を創作してしまってもいいのではないか、という考え方が生まれてきます。
    以前、敷地の近くに海があった時、波を建築化できないか、つまり波の構造を建築に生かすことはできないかと考えました。
    手順としては、録ってきた波の音を専用アプリを使って楽譜にします。次にその楽譜の配列を建物の空間配列に置き換えると建築ができてしまったのです。それは、「私はこういうデザインがいい」といって組み立てていく手法ではなく、波が持っている秩序を形に翻訳したところ、茶碗作りと同じで自分では思いつかないような空間が偶然の結果生成してしまったということになります。
    結局世界は同じ構造で繋がっているので、このようなことができる訳です。
  • 2 脳波を建築する
    脳波を建物にしたこともあります。人の脳のなかでは、一番上に「意識」があり、その下に「個人の無意識」、一番下に「種(人類)としての無意識」があります。
    そして、無意識層は意識層のおよそ数万倍もあると言われていますので、今までの(意識的な)建築は建築全体の1/10000しか扱ってこなかったことになります。そこでこの無意識層を使った建築を考えてみました。
    これは台湾でのプロジェクトですが、敷地に行き、僕の脳波と施主の脳波を測ってみると、施主にはその敷地から生で受ける言葉にはできない複雑な思いがあり、脳波も様々に激しい波形を記録してゆきました。一方僕は部外者の為、その場で見えるものや聞こえるものにしか意識は反応せず、脳波は比較的フラットになっていきます。
    このようにして測った二人の生の脳波をフーリエ変換という手法で幾つかの波(α波、β波……)に分け、その形を建築に置き換えていくと、意外な光の入り方、物の見え方をする建物ができてしまうのです。これが「無私」というものです。

建築塾で生き様を伝え

これまで私は長い間大学で教えていたのですが、そこでは組織としての制度に左右され、子供たちの創作への想いを本当の意味でフォローしきれていないのではないか……、と思い至り10年前に私塾を設立しました。そこでは、「建築とは職業ではなく生き様である」(建築道)と教えています。
100個のビー玉からできている筒状の「建築道のモデル」というものがあります。これは、1個のビー玉が「私」であり、そのほかの99個の「他者」と合わせ100個のビー玉全部が集まって「世界」ができているというメタファーとしての模型です。これを見た時普通は世界(100個)の中に私(1個)があると考えます。しかしよく見ると、1個のビー玉(私)の中に他の99個のビー玉がガラスの反射で映し出されているのです。 なぜ「私」(1個)の中に「全体」(100個)が映るのでしょうか?それはビー玉が磨かれてあるからであって、これら表面にもし泥がついていたとしたら映し合うことはできません。
ビー玉を「自己」、泥を「自我」という言葉に置き換えると、ビー玉が「自己」であれば周り(他者)を映し出せますが、「自己」の周りに「自我」という泥がついている限り周り(他者)を私の中に映し出すことができない、すなわち、相手を自分の中に住まわせることができないのです。
ですから、自己の周りに付着した「泥取り」は成長の過程であるということもできる訳です。やがていつか、泥である自我が拭い去られて行くと、私の中に他者たちがキラキラ映るようになってきます。このときの「私」とは、相手の喜び、苦しみ、想いをも映し出すことができる鏡の様なもので、「自己主張」「エゴイズム」の「私」とは全くちがったものになっています。
建築の施主は大きいお金をかけるので沢山のことを言ってこられます。時にはその想いをきっちり私の中に映し出せないときもあります。でも、そのように思ってしまうこと自体が「自我」(泥)なのです。
自我とは思い込みだったり、決めつけだったりすることです。相手の言うことをニュートラルに聞いていくと、やがて徐々に自我が取れて行きます。このようにして建築を行なっていることとは、建築を通じて知らず知らずのうちに徳を積んでいることのではないかと思ったり

死番として臨む

実は29歳の時に余命6ヶ月と宣告されたことがあります。その時はまだ、子供も小さく社会的にも何もできていない時期だったので、ただただすべてがおっかないと感じるだけでした。
幸い、そこから完全復活して57歳の今まで生きてくる事はできましたが、一度命は終わったと覚悟してしまったので、割と人生なんでも有りでいいのではないかと思うようになっています。あれより怖いことはない、と。
戦国の武将、藤堂高虎が残した名言に「寝屋を出るより其の日を死番と心得るべし」という言葉があります。
これは、寝屋、すなわち朝起きてベッドを出る瞬間に今日は死番(兵隊の一番前にいる人=一番初めに死んでしまう人達)という心構えで1日生きなさい、という意味です。
自分自身1度死んだと思った身ですので1日1日を大切に、色々なことを泥なしで後進に伝えたい、という思いで塾を作ったり建築を作ったりしています。
そういう大きな眼差しから、僕にとって建築は職業ではなく生き様なのです。

住宅建築に快適さは求められているのか?

~出席者からの質問の答えてそういう想いで作られた家とそうではない家とでは住んでみてから全く違うものであることが感じられると思います。私は、一人一人の施主の方がどのように生きてこられたのか、生きて行かれるのかをきっちり見届けたいと思います。
実は最初の頃、建築家はつまらないと思っていました。例えばマドンナがCDを一つ作ると何百万人の人が買っていきそこに甚大な影響があります。これに対して、建築家が影響を与える人数はものすごく少ない上に、(CDの様に)複製という経済効果も不可能なのです。だから、「ああ、自分ってつまらないことをやっているなあ……」と思ったこともありました。
しかし、ある時、建てた施主の方から「昨日寝室に寝ようと思ったら、キッチンから見える月があまりにも綺麗なのでそのままキッチンに布団を敷いて寝ました……」という1通の短いFAXが入ったことがありました。
取るに足らない感想かもしれないませんが、そのことがその人その家族にとってどういう蓄積や記憶として熟成されて行くのかを想像すると、やっていることにまた全く別の命すら賭けられる意味があると思うようになってきました。