活動報告

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創立30周年記念式典

創立30周年を迎えました立教経済人クラブでは、その歴史を振り返り、新たなスタートの時とするため、 11月9日、ホテルオークラアスコットホールにて創立30周年記念式典を開催いたしました。この式典を機に、30周年を祝し親睦を深めるとともに会員の増強を図り、また対外的にも当クラブの活動を広報しネットワーク力を強化することを目指しました。
当日の参加者は、会員133名、入会予定者53名、招待者34名、計220名でした。
式典は、第1部パネルディスカッション、第2部懇親会の2部構成で行われました。また、ホールの一角に企業のPRコーナーを設け、事業の説明、交流会そして試飲・試食と販売会が行われました。
懇親会は「結集!立教力 We’re from Rikkyo」をテーマに、日本テレビの豊田順子アナウンサーの司会にて行われました。冒頭にクラブの30 年の歴史をまとめたスライドショーを上映し、和田史成会長、吉岡知哉立教大学総長のご挨拶、佐藤チャプレン長による感謝のお祈り、そして江草忠敬立教大学校友会会長の乾杯のご発声により歓談となりました。
着席ビュッフェ形式での歓談の時間では、参加者同士の交流と親睦が進んでいました。懇親会を華やかな雰囲気に盛り上げてくれたのが、現役立教生によるビッグバンド演奏とチアリーダーの演技でした。また、チアリーダーの皆さんは、会場を回り記念撮影をする写真サービスをしていただきましたが、非常に人気があったようです。その後、抽選会が行われました。抽選会の商品は、クラブの役員の方々にも協賛していただき、豪華商品が並んでいたため、抽選券も200 本以上を購入い ただく等、大いに盛り上がりました。
最後に、応援団長の音頭により校歌を斉唱し、梅田憲司運営委員長のお礼の挨拶で終了いたしました。
華やかな雰囲気の中スムーズな進行となり、立教のよさを再認識できた式典となりました。企画・準備から当日の進行まで行っていただきました、準備委員会、運営委員会の皆様、ありがとうございました。この式典を機に、会員増強につながることを願っております。

立教経済人クラブ30周年記念講演会


立教経済人クラブ創立30周年記念式典、第1部パネルディスカッションにおいて、現在、経済界でご活躍の4人、大屋高志氏(コーディネーター)、杉本隆洋氏、石渡美奈氏、菅原勇一郎氏の立教経済人クラブメンバーに「ビジネスチャンスはここに!立教ビジネススタイル」のテーマで、今だから話せる、事業承継問題、起業成功の秘策などを大いに語り合っていただきました。

大屋:本日は、『等身大の立教人が語る人間』というテーマでお話させていただきます。それぞれの会社についてDVDによる企業紹介をご覧ください。

大屋:立教大学卒業後どのようなキャリアをされてこられたか、お話ください。

石渡:1990年卒業後、日清製粉に入社、めでたく結婚したものの半年後に離婚。婿を採ることが使命と思っていたが、そうではなかったことに気づき、それから自分探しをし、ようやく97年に実家に戻り、3代目になりました。

菅原:立教高校に入学し、大学まで野球部に所属。卒業後は、富士銀行、流通を経験し、玉子屋に入社しました。入社当時は1日15,000食の弁当を販売し、年商15億円、社員数は、80名。現在は、1日70,000食、年商90億円、社員数600名の企業に成長しました。

杉本:1980年卒業後、米国で5年間勉強し、外資の代表を経て、日本のベンチャーに入社し、創業し今日に至っています。

大屋:1998年に理学部を卒業し、みずほインベストリー証券に入社、10年勤務の後、ドイツ証券に入社し、3年前にフィールズで仕事をする機会があって、入社することになりました。まだ入社4年目のほやほや社長で邁進しているところです。

大屋:本日のパネラーは、有名であり、成功されている企業ばかり。なぜ、成功されたか正直に話しください。

菅原:70,000食をやっています。社員は、社長は大卒、あとはそれ以外…。失敗からどう変えられるか、次の経験に活かしたら、たまたま成功してしまったわけです。大卒以外は皆素直ですから。

大屋:これは立教に限らないですよね。

石渡:マンパワーで有り余っているもののどこに火をつけたらよいかわからないものに、火をつけてしまいました。父からバトンタッチをして、売上は4倍になりました。祖父と父がコアの部分、土台を固めてくれたのが成功のポイントでしょうか。

杉本:失敗した時に人との出会いが多かったです。成功のストーリーは人それぞれですが、私の場合は、人との出会いですね。

大屋:自分の人生を変えたものは何かというと、日本の証券会社のときに金融恐慌がありました。船が沈みそうになりました。でも沈みかけた船から下りることはできないんです。同じ船に乗っていても誰も守ってくれない時に、声をかけてくれたのがドイツ銀行であった。金融機関に勤めていると思うのですが、人に対して商品、サービスを提供する仕事は素晴らしいです。そのような中でフィールズとの出会いがあったのです。そこに立てていることだけも幸せであると思っています。

杉本:立教中学からなので、英語は大嫌いでした。ところが、米国人の妻をもらい、英語と出会ったわけです。また、方位をみてくれるおじいちゃんと出会ったのです。それまでは、長続きしないことばかりでしたが、その人との出会いで辛抱強くやっていったら続いたのです。山一證券がつぶれる前に、ベンチャー企業の子会社の雇われ社長でしたが、富士銀行さんからお金をだしてもらい、ビジネスプランを書いて、資本70%いただきやっています。

大屋:人生波乱万丈ですよね。

石渡:一番は、離婚かな?どうやったら跡取りか。女子が総合職に就く時代ではなかったです。中学、高校は皇太子妃と同じでした。跡取りの使命は婿でした。私がここにいる理由を探した自分探し時代でしたね。

菅原:野球が転機でした。まさかぶん殴られたりするとは思っていなかったです。学生時代に比べたら、そのほかのことは、たいしたことはなかった。

大屋:学生のスパルタが一番つらかったのですね。

菅原:仕事は生きてゆくための当たり前のことと思っています。野球選手は打てなければ意味がないですよね。仕事は違うんです。野球とは違います。だから野球のほうが厳しいと思います。

大屋:女性経営者特有の悩みは?

石渡:特にないですね。新聞にお詫び広告をだしたことがありました。ホッピーに飛び火して不買運動に広がったらどうしようと思いました。あのあと、食品の不祥事が起こった。

菅原:そうです。雪印が過去最大の食品事件でしたね。わが社は70,000食ですから食中毒でも起こしたら、恐ろしいことになると思いました。しかし、それ以上に野球のほうがつらかった。(笑)

杉本:人との出会いが成功の条件であると思いますが、絶対に信頼しているところに権限委譲したのに失敗しましたと言われるとつらいと思います。途中で挫折してしまう人を信用することがつらいかなあ?

大屋:2代目、3代目の経営者として事業承継するつもりがあったのか、そうでなかったのか、かいつまんでお話してください。

菅原:親が弁当屋というのが恥ずかしかったですが、野球でヒットを打ったときに親が喜んでくれるのがうれしかった。野球は、親が喜ぶためにやっていましたね。弁当屋はいやでしたが、社長にはなりたかったから銀行に行ったのです。でも、結果的には弁当屋になりました。僕が入社したときは常務でしたが、入社したその日に社員には、僕がいずれ継ぐからと言いました。誰も信用してくれなかったですけれどもね。今の右腕が信用してくれるまでは2年かかりました。親には、感謝していますよ。

石渡:私は、1990年卒。われわれは野球部が優勝してくれてラッキーでした。事業承継は、もろ同族企業でしたので、継ぐ前に同族とのごたごたがあり、社員がモチベーション落としてしまいました。自分が継ぐのかどうかは曖昧でしたが、私がやりたいと思ったのです。いとこもいましたが、父の反対を押し切って1年かかりましたが、2003年にバトンを渡すと言われました。一切口をださないと言われました。10年後の100周年の時に承継しようと言われました。

大屋:私は上場されている会社に入りましたが、杉本さんはどうでしょうか。

杉本:株式マーケットというのは金の亡者。株式に左右されないほうがうらやましい。サラリーマンを経て創業したんです。上場してもある意味で公の器として一定以上になってゆかないとだめですね。

大屋:波乱万丈の人生だったり、社会的にはうまくいっても成功はまだしていないかもしいれませんが、ご自分の考えていることをお聞かせください。

杉本:私は若手ではないので違和感がありますが、一つは会社をきちんと残して行きたいと思っています。それが本音です。

石渡:2001年ごろは革命と進化がありました。まもなく進化があるだろうと思います。もう一度ぶちこわしたいですね。100年、130年と続くためには一度壊さないといけないと思っています。

大屋:ウルトラマンの権利を買って、ハリウッドからも話があったくらいですから。今までのモデルと違うことをしたいと思っています。10年後何をしているかはわからないです。 菅原:70,000食、同じ状態で従業員の給料も上がって、従業員が喜ぶこと、お客様が喜ぶことをしたいです。会社を大きくすることには興味がないです。必要な会社は残りますし、それは弁当屋でないかもしれないです。こだわらないほうが残るかもしれないですね。

大屋:立教人とは何ぞや、お聞かせください。

杉本:立教のカラーは自由で素直。事実そういう人が多いですよね。学生は軟弱です。面接にも受けに来てくれたのですが、みな考えかたが甘いんです。フレキシビリティを保ちつつ、骨のある人材を教育できればよいと思います。

石渡:2002~06年に総長をつとめられた、押見先生から感想をもらったんです。押見先生が考える立教らしさに共感します。

菅原:私は、I LOVE RIKKYOです。娘も立教女学院ですからね。今の自分があるのも立教だと思っています。金太郎飴になって欲しくないです。どの人に会っても立教の印象はよいですね。自分が思っている以上に評判がいいです。イエスマンになるのではなく、責任をもってリスクを持って欲しい。いろいろな形で活かしてもらいたい。 大屋:立教という土は私にとって心地よいです。とがった印象はない。自由な校風を過ごさせてくれて、自分は何をやるのかを教えてくれました。これからも立教人はついてまわります。自分が世の中に役に立つことは何か。自分で考えて欲しいです。個性豊かな学生やOBになって欲しい。

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