活動報告

  1. HOME
  2. 活動報告
  3. 朝食勉強会

朝食勉強会


今回の朝食勉強会は、「企業の”ありよう”を考える 〜ぴあのCSV活動〜」と題して、ぴあ株式会社 代表取締役社長 矢内廣様にご登壇いただきました。
 
矢内様は、福島県いわき市に生まれ、中央大学在学中に起業、タウン情報「ぴあ」の発刊、そして日本の中で最大級のエンターテイメント・チケットの販売を手掛ける「チケットぴあ」の創業者であり、ぴあ株式会社 代表取締役社長(現任)でいらっしゃいます。また、同社の代表的な活動である「PFF(ぴあフィルムフェスティバル)」は、プロの映画監督の発掘と育成を行う映画祭で、今年で39回目を迎え、いままでに日本を代表するプロの映画監督を110名以上も輩出し、若手監督の登竜門として定着しています。
 
「ぴあ」の創刊後は、ぴあデジタルコミュニケーションズ株式会社 代表取締役社長、代表取締役会長(現任)等、ぴあ主要グループ会社の代表を務めると共に、一般社団法人チームスマイル 代表理事、社団法人日本雑誌協会理事、日本アカデミー賞協会組織委員会委員、など数々の役職を務めていらっしゃいます。
 
冒頭、和田会長のご挨拶より、矢内様のご紹介から始まりました。2011年3月の東日本大震災から間もなく6年目を迎えるということで、立教大学グローバル教育センターでの「陸前高田プロジェクト」を紹介、矢内様も震災直後からエンターテイメントを通じた復興支援活動を開始し、2012年には「一般社団法人チームスマイル」を設立、自ら代表理事として被災地の復興に向けて主体的な活動を続けておられることから、互いのつながりが始まった本学とのご縁、また、和田会長とは外務省のミーティングを通じて意気投合されたお話し等、矢内様を身近に感じられるエピソードから、今回の朝食勉強会の講師としてお招きしたことをお話しされました。
 
そして矢内様から、最初に「ぴあ」の生い立ちからお話が始まりました。
 
私は、1972年中央大学法学部4年の時に情報誌「ぴあ」を開始しました。全く何もないところからのスタートでした。当時の出版・流通の問題、その他様々な問題に遮られ、そのスタートは大変厳しいものでした。その中でも、東京の89店舗に直接「ぴあ」の取り扱いを依頼、その4年後には1,600店舗にまで拡大しました。そして毎月毎号の定期刊行物としては10万部/号、首都圏で最大で50万部まで売れた情報誌へと発展しました。例えば、最近よく皆さんがご覧になる雑誌「週刊文春」は、全国で66万部、首都圏では33万部を販売していますが、その規模との比較をみても当時を代表する情報誌となりました。
しかし、「ぴあ」も2010年に休刊となります。インターネットの時代となりました。以降「ぴあ」はネットでの在り方を模索しています。 「ぴあ」の一番の転機は、1984年の「チケットぴあ」の開始でした。そして、1993年には、当時の電電公社とプッシュ電話回線を使った初めてのオンライン販売を始めました。今日では、インターネットを利用したオンライン予約、38,000店舗のセブンイレブン、ファミリーマートでチケット販売を行っています。いわゆるエンターテイメントの販売事業は、「ぴあ」の中核事業です。
そもそも、この「チケットぴあ」の始まりは、劇団四季の創始者の浅利慶太さんとの出会いでした。当時浅井さんは新しいミュージカル「CATS(キャッツ)」のロングランの講演を定着させたいという夢を持っていらっしゃいました。
ロングランの成功にとって、下記の3つの要件があると浅利さんは強くおっしゃっていました。
 
要件1
良いコンテンツ 「CATS(キャッツ)」がある!
 
要件2
劇場・小屋が良い 日本は1か月単位でしか貸してくれない、埋まっている。そこで、解決策として浅利さんは自らで小屋を建てることにしました!
 
要件3
コンピュータでチケットを売る仕組みが必要
一度に10万枚を売る仕組みは、コンピュータなら創れる!

 
当時1983年、コンピュータを使ってチケットを販売する仕組みを創るというのは、浅利さんの言葉を借りると、「業界にとんでもない革命を起こす。」と。そして「CATS(キャッツ)」は大成功を収めました。
そして「ぴあ」は2002年に東証二部上場、2003年には一部上場を果たします。
上場の前、1998年に「ぴあ」は、「ぴあアイデンティティ」を発表しました。「ぴあアイデンティティ」には人間一人一人の人格は「経済性」と「趣旨性」の内容とバランスによって形成されるという考え方を基本としています。そして、「ひとりひとりが生き生きと。」という「ぴあ」の理念が生まれました。
企業にとっても社格があり、「経済性」と「趣旨性」で形成されます。「経済性」とは利益そのものであり、「趣旨性」とは、その企業が企業活動を通して求める、あるべき社会の理想の姿(ありよう)なのです。「経済性」と「趣旨性」は車の両輪のようにバランスを取りながら大きな発展を遂げる、これが「ぴあ」の理念の基礎です。
 
この理念の基礎と似たような考えに、ハーバード大学ビジネススクールのマイケル・E・ポーター教授が中心となり提唱している「Creating Shared Value(CSV):共通価値の創造」があります。これは以前より唱えられていた「CSR(企業の社会的責任)」とは異なります。CSVを創出するにあたっては、社会の発展と経済の発展の関係性を明らかにし、それを拡大することにあるとし、これは「ぴあ」の理念である「経済的価値」と「社会的価値(社会貢献)」のバランスを取りながら発展を遂げるという考え方に極めて近いと思います。
 
マイケル・E・ポーター教授は、一橋大学で日本企業を共同研究していました。その結果として2011年にCSRに代わるCSVを新しい考え方として発表したのです。日本には、そもそも、そういった戦略的なCSRとしてのCSVに近い考え方は存在していたと思います。
それは、近江商人の「三方よし」を目指すという思想、行動哲学です。「売り手よし」、「買い手よし」、「世間よし」、すなわち売り手の都合だけで商いをするのではなく、買い手が心の底から満足し、さらに商いを通じて地域社会の発展や福利の増進に貢献しなければならないということです、昔から日本の商売にはこういう考え方があったのですね。
 
「ぴあ」がこの考えをもとに基本理念を立ち上げるのには、ずいぶん時間がかかりました。創業してからずっと、今までやってきたことを振り返りながら、実は1996年あたりから21世紀を迎える「ぴあ」はどういう姿になっていなければならないのか、21世紀の戦略を考えるためにプロジェクト化までして進めました。しかしその中で社員の皆さんから出たことは、「ぴあ」の活力が失われているという発言でした。私は、社長としては困りました。結局21世紀の戦略策定は延期することとし、「ぴあ」の活力を取り戻すにはどうしたらよいか、を考えることとなりました。
 
そこで考えたのが企業理念の明文化が必要だということでした。一般的な社是ではなく、社員が考え、社員がこれだと思うものを決めればいいと考えました。そして生まれたのが、「経済性」と「趣旨性」のバランスによる発展という考え方、そして新しい企業理念「ひとりひとりが生き生きと。」です。企業理念としてはめずらしい、何の会社?と思われるかもしれないですね。
 
では、「ぴあ」にとって「趣旨性(社会的価値)」とは何か、象徴的に行っている活動が2つあります。一つは、「PFF(ぴあ フィルム フェスティバル)」、もう一つは「チームスマイル活動」です。
 
現在日本の映画は絶好調です。「君の名は。」は興行収入240億円を超えました。新海誠監督は30歳台です。そしてプロデューサーも。昔は、映画の人気といえば、洋画→邦画の順でした、ここ何年か前からは、邦画→洋画に代わりました。
 
こうした新しい時代を作るのは若い人たちです。PFFの中心は学生、自主映画作品のコンペティションです。グランプリ、準グランプリを決め、表彰を行います。発掘された新しい才能は日本全国で2週間にわたり上映会が行われます。
また、PFFには映画監督を選考して奨学金や映画作品制作支援を援助プログラムとして提供する「PFFスカラシップ」を設けています。今まで23本のスカラシップ映画ができました。
 
PFFはプロの映画監督になるためのブリッジだと考えています。今までに110名もの若き映画人を育成してきました。石井裕也監督は、典型的なPFF出身監督です。2007年の第29回PFFグランプリを獲得した後、日本の映画賞を数多く獲得、2009年委は史上最年少でのブルーリボン賞、2013年には「舟を編む」で日本アカデミー賞最優秀作品賞、最優秀監督賞、芸術選奨新人賞など日本を代表する監督に選ばれました。
 
実は1982年、「ぴあ」に証券会社の人がやってきて、こういう時だから上場を目指しましょうと言われ、勉強を始めたことがあります。すでにPFFは「ぴあ」にとって大切な活動になっていました。そこで私は証券会社の人にこう質問しました。
「PFFお金はかかるけど、売り上げはない、これで上場できますか?」
それは「No」だと言われました。利益を出して株主に還元するのが上場ですと。
その後「ぴあ」は2002年に上場しました。何よりもシステムのバージョンアップが必要となり、その多額の費用を賄うためには上場をその手段として求められた時でした。その時も私は、証券会社の人に同じ質問をしました。PFFは「ぴあ」にとってそれほど大切な活動だったのです。
「上場した後もPFF活動は継続できますか?」間髪入れずに答えが返ってきました。「こんな素晴らしいこと!続けてください!」どの証券会社も同じ反応。「企業の社会的貢献、文化的貢献が必要なのです。」たった20年で世の中の状況、価値観がこんなに変わっていいのかと思ったくらいです。
もともと「ぴあ」の仕事は文化招致をすることでした。今後は文化を新しく創る、若い才能を育成することも仕事として取り組むことに喜びを感じました。
 
新しい文化は、若い世代からしか生まれてこない。小さな芽は、どう育つかわからない。
本来は文化庁の仕事かもしれません。小さな芽は気づかれずローラーで踏みつぶされる。守る役割を誰かがする。その中からいくつかの芽が育ち、枝を伸ばす。誰かがやらねばならないことだと感じました。
PFFは、これから新たなステージを迎えます。一般社団法人化を行い、「ぴあ」から切り離します。業界全体で新しい日本文化創りに、そして若い世代の育成に、前に進んでいきたいと考えています。皆様からのご支援・ご協力も是非お願いしたいと思います。
 
「ぴあ」のもうひとつの「趣旨性」の活動は「チームスマイル」という東日本大震災復興のための活動です。私は福島県いわき市の出身です。いわき原発から30km、今もなお風評被害に悩まされています。我々はエンターテイメントを通じて復興支援をしたいと考えました。支援は一度きりのモノではなく継続して復興支援を行うべきと考えました。震災直後からエンターテイメントを通じて被災地の方々に勇気や元気を届けたい、そう信じて始まったボランティア活動は、復興が長引くにつれ、その継続性が最大の課題と考えました。
 
そこで、我々が出した答えは2つでした。一つは活動拠点の確保、もう一つはその解説と運営を賄うための経済性の確保です。私たちはそれまでのボランティア活動を正式に一般社団法人化し、東北三県(福島、宮城、岩手)と東京と共にその活動拠点となるシアターを開設することにしました。
 
これが「PIT(ピット)」です。「PIT」は「Power into TOHOKU!」の頭文字です。経済性については、ずいぶん考えました。福島、宮城の100人、200人収容のPITでは、赤字となります。仙台のPITの収容は1,200人、収益はこれでトントンです。東京豊洲のPITでは、3,100人収容でき、ここでは十分な収益を上げることが可能です。これら4か所のPITトータルで収益を合わせ、経済性を保つことが賢明と判断しました。運営には経営ノウハウが必要です。自らがリーダーシップをとるとともに民間主導での運営が必要だと考えました。
おかげで多くの企業、団体からのご協力、ご寄付、ご支援をいただきました。いろいろな人、企業のおかげでチームスマイル活動はスタートできました。そして、業界人、文化人、あらゆる人が参加してくれることで多くのコンテンツを供給し、運営することもできるようになりました。
 
昨年の3月11日、震災から5年目、最後の4つ目の仙台PITが完成しました。仙台PITの建設には、プリンセスプリンセスの皆さんに大変なお世話になりました。震災後、プリンセスプリンセスは、音楽でお返しをしたい、支援をしたいと、コンサートの売り上げ5億円のうち2億円を寄付、残りの3億円をチームスマイルの活動に共鳴し、仙台PITの建設へ寄付していただきました。実は震災後、建築費が3割以上の異常な高騰をしており、一時は建設が危ぶまれた時もありました。
3月11日の?落しコンサートは、もちろんプリンセスプリンセスです。チケットはあっという間の完売でした。
 
チームスマイル活動は、特に子供たちのために、子供たちの心の復興を目指しています。このような悲惨な体験からの心の復興は、大人は難しいものです。
しかし、子供たちは反応が早い、いち早く元気なるのは子供、そしてその影響で大人も元気になると我々は信じています。
 
PITでは、様々な業界の著名人に講演もしていただいています。
第一回は有森裕子さんに講演していただきました。彼女の人生訓はアスリートだけではない伝わり方で多くの人の感動を生みました。
スポーツ選手にも参加いただきました。香川真司さん、清武弘嗣さんには小学生向けのサッカースクールを開催していただきました。川淵三郎さんには、「キャプテン・サミット」として、被災地のこどもたちのリーダーを育成する。子供たちの悩みに答えてあげるという機会を持ちました。
ミュージシャンからは、布袋寅泰さんに参加いただき、100人から200人の会場で、アマチュアバンドの指導を行っていただきました。
 
女優 倍賞千恵子さんには、映画「世界で一番美しい村」の上映に参加いただきました。倍賞さんは、この映画のナレーションをされています。舞台となったネパールのラプラック村は、2015年のネパール大震災で被災し、多くの被災者を出しました。
実は、ネパールは、アジアの最貧国といわれながら、2011年3月の東日本大震災の折、東北に義援金と復興の祈りを届けてくれた国の一つでした。
ラプラック村で暮らす家族の、貧しいながらも、温かく優しい兄弟愛、親子愛を、倍賞さんのナレーションはネパールの人々の輝きとして伝えてくれました。
 
PFFはじめ、チームスマイルの活動には、これからも多くの皆様の支援で成り立ってゆくものと思います。我々の唱える「CSV」に共鳴いただける方には、是非ご支援、ご協力をいただけると幸いです。
 
矢内さんのお話は、実に淡々とそして優しい語りかけで綴られた「ぴあ」の歴史でした。「企業のありよう(価値)」を自ら示すことで、社会に必要とされる企業となれるのだと感銘を受けました。そしてその思い、行動をずっと継続して形にするということが大切だということも学ばせていただきました。ありがとうございました。
 

 
矢内廣氏 略歴
福島県いわき市に生まれ、中央大学在学中に起業、タウン情報「ぴあ」の発刊
「チケットぴあ」の創業者であり、ぴあ株式会社 代表取締役社長(現任)
「ぴあ」の創刊後、ぴあデジタルコミュニケーションズ株式会社 代表取締役社長、代表取締役会長(現任)等、ぴあ主要グループ会社の代表を務める
一般社団法人チームスマイル 代表理事、社団法人日本雑誌協会理事、日本アカデミー賞協会組織委員会委員、など数々の役職を務めている
同社の代表的な活動である「PFF(ぴあフィルムフェスティバル)」は、プロの映画監督の発掘と育成を行う映画祭で今年39回目を迎え、若手監督の登竜門として定着している